2023年06月14日
のの心の玉手箱となっ
蝶ブログは孤独との闘いだから、モチベーションがかなり必要だ。
でも、細くても長い長い間に培われた絆があると信じている。
ふと、あんなこと、こんなこと、海を渡って親子リレーの品を手渡されたり、時の経過も含めて、いろんなことを思い出すこともあり、やはり一生ものの心の玉手箱となっている東京不動產。
ちなみに、前回の自己肯定感の強いシニア女性。
地元ではパソコンのお師匠さんで(本人曰く)、地域の人にも教えていたんだそうだ。
わたしのような、ちんぷんかんぷん人間と同じように考えてはいけない、、、にしても、
スマホアプリだのは、日々、変化しているので、アプリ提供サイドの事情もあったりして、利用者サイドだけの技量ではどうにもならないことがある。
そのあたり、まだ見ぬ敵にさえ簡単に軽く打ち勝つ自信は、どこから湧き出て来るのか。
巨大なるクレーマーになったりして加拿大移民政策。
そっち(アプリ提供者)が、悪い!と。
現にスマホ買い替えの時に、担当の若いお兄さんがアタマが悪くて時間を取られてとても困った、とそのシニア女性は言い放っている。
ご自分は完璧の姿勢は絶対に崩さない。
ある別の人。
スマホ店の担当者に、説明の矛盾点を確認したら「あ、この話し、(あなたには)難しかったですかね?」と言われて、めちゃくちゃ怒っていたそうだ。
わたしも、スマホ買い替えの時の担当の若いお姉さんに、著しく侮蔑され、イラつかれ、屈辱気分をたっぷり味わい、トラウマになった経験あり。
後で娘婿に愚痴ると、「担当者も経験不足、知識不足だと思います」と慰めてくれた。
なんと優しい、よくデキたお婿さん。
それにしても、老人イジメではなかろうかと、悔し涙を流している人もいる傍らで、やりもしないで声高らかに、「アナログの不便さが大好き」だと言う、この方のこの性格。
今後のこともあるし、ご家族の皆さん、さぞや大変だろう月餅禮盒。
が、自分の身を守るのは自分。
これぐらいパワフルでなければ、今後の高齢化社会、やっていけないのかも知れない。
でも、細くても長い長い間に培われた絆があると信じている。
ふと、あんなこと、こんなこと、海を渡って親子リレーの品を手渡されたり、時の経過も含めて、いろんなことを思い出すこともあり、やはり一生ものの心の玉手箱となっている東京不動產。
ちなみに、前回の自己肯定感の強いシニア女性。
地元ではパソコンのお師匠さんで(本人曰く)、地域の人にも教えていたんだそうだ。
わたしのような、ちんぷんかんぷん人間と同じように考えてはいけない、、、にしても、
スマホアプリだのは、日々、変化しているので、アプリ提供サイドの事情もあったりして、利用者サイドだけの技量ではどうにもならないことがある。
そのあたり、まだ見ぬ敵にさえ簡単に軽く打ち勝つ自信は、どこから湧き出て来るのか。
巨大なるクレーマーになったりして加拿大移民政策。
そっち(アプリ提供者)が、悪い!と。
現にスマホ買い替えの時に、担当の若いお兄さんがアタマが悪くて時間を取られてとても困った、とそのシニア女性は言い放っている。
ご自分は完璧の姿勢は絶対に崩さない。
ある別の人。
スマホ店の担当者に、説明の矛盾点を確認したら「あ、この話し、(あなたには)難しかったですかね?」と言われて、めちゃくちゃ怒っていたそうだ。
わたしも、スマホ買い替えの時の担当の若いお姉さんに、著しく侮蔑され、イラつかれ、屈辱気分をたっぷり味わい、トラウマになった経験あり。
後で娘婿に愚痴ると、「担当者も経験不足、知識不足だと思います」と慰めてくれた。
なんと優しい、よくデキたお婿さん。
それにしても、老人イジメではなかろうかと、悔し涙を流している人もいる傍らで、やりもしないで声高らかに、「アナログの不便さが大好き」だと言う、この方のこの性格。
今後のこともあるし、ご家族の皆さん、さぞや大変だろう月餅禮盒。
が、自分の身を守るのは自分。
これぐらいパワフルでなければ、今後の高齢化社会、やっていけないのかも知れない。
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10:05
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2023年05月12日
自分の健康に最大限
今朝、洗面所で何かを考えていて(忘れたが、しばらくしたら思い出すだろう)、それに関連したこととして息子のことが一瞬、頭をよぎった。
消息は絶っていないものの1年以上、顔は見ていない除甲醛公司。
元気にしているとは思うが。
突然、涙が流れた。
(ちなみに、息子はお年玉を電子マネーアプリで甥姪にあげていた)
夫は息子が後継として戻って来てくれることを心待ちにし、糧にし、毎日頑張っている。
心待ちにしすぎて、まだかまだか、いつ帰る?と、10年ぐらい前から息子に矢の催促。
息子はハッキリとした期日を示さなかった。そんな時期もあった。
やがて月日は経ち、明確な返事をもらえないまま、ついに自分が引退を考える頃になり、諦め半分、息子に最後に問うていた。
が、息子は首を縦に振らなかった。
わたしのこころの声。(決して口に出して言わない)
息子の気持ちを察しろ。嫌なものは嫌なんだ。
親の望む道に行って親孝行はしたいが、自分が行きたい道ではない。
自分が歩みたい道があり、今は道途中なのに、無理やり引き止め引き戻す気か活動場地租用?
親のエゴのために。
息子を板挟みの苦しい立場にさせていることがわからないのか。
夫と息子、善人同士のバトルを横で静かに見ているわたし。
誰が悪いわけでもない。
歌舞伎役者や老舗の後継は、世間の目もあり大変だろう。
職業選択の自由を奪われる。
重い問題だ。
ちなみに。
姑は、自分が子供たちの役に立てなくなったら、子供たちの生活のリズムを乱さないよう、自分の健康に最大限、注意を払っているとよく言っていた。
わたしもその気分。
まだ少しぐらいは後方支援の最後方で「備え?スタンバイ要員」として位置しているが。
とは言え、1番下孫は1歳なので、何かしら引っ張り出されることもあるかも知れない。
が、娘たちはそれなりに親には面倒かけまいと、頑張っているようだ。
よほどのことでもないとSOSは発信しない。
逆にわたしの場合、姑たちが手を差し伸べ過ぎて甘すぎたかも知れない。
感謝はしているが。
涙にはいろんな意味がある。
言葉には出せないような、言葉に出来ないような、自分でも涙の理由が何なのかわからないような、そんな感情が涙となって現れる。
溢れ出る想いである。
流れる涙は無理やり止めることなく、自然なままに流すのがよいと思うbackdrop 佈置。
そう書いたら、偶然、別件でまたまた大泣き。
涙週間か。
消息は絶っていないものの1年以上、顔は見ていない除甲醛公司。
元気にしているとは思うが。
突然、涙が流れた。
(ちなみに、息子はお年玉を電子マネーアプリで甥姪にあげていた)
夫は息子が後継として戻って来てくれることを心待ちにし、糧にし、毎日頑張っている。
心待ちにしすぎて、まだかまだか、いつ帰る?と、10年ぐらい前から息子に矢の催促。
息子はハッキリとした期日を示さなかった。そんな時期もあった。
やがて月日は経ち、明確な返事をもらえないまま、ついに自分が引退を考える頃になり、諦め半分、息子に最後に問うていた。
が、息子は首を縦に振らなかった。
わたしのこころの声。(決して口に出して言わない)
息子の気持ちを察しろ。嫌なものは嫌なんだ。
親の望む道に行って親孝行はしたいが、自分が行きたい道ではない。
自分が歩みたい道があり、今は道途中なのに、無理やり引き止め引き戻す気か活動場地租用?
親のエゴのために。
息子を板挟みの苦しい立場にさせていることがわからないのか。
夫と息子、善人同士のバトルを横で静かに見ているわたし。
誰が悪いわけでもない。
歌舞伎役者や老舗の後継は、世間の目もあり大変だろう。
職業選択の自由を奪われる。
重い問題だ。
ちなみに。
姑は、自分が子供たちの役に立てなくなったら、子供たちの生活のリズムを乱さないよう、自分の健康に最大限、注意を払っているとよく言っていた。
わたしもその気分。
まだ少しぐらいは後方支援の最後方で「備え?スタンバイ要員」として位置しているが。
とは言え、1番下孫は1歳なので、何かしら引っ張り出されることもあるかも知れない。
が、娘たちはそれなりに親には面倒かけまいと、頑張っているようだ。
よほどのことでもないとSOSは発信しない。
逆にわたしの場合、姑たちが手を差し伸べ過ぎて甘すぎたかも知れない。
感謝はしているが。
涙にはいろんな意味がある。
言葉には出せないような、言葉に出来ないような、自分でも涙の理由が何なのかわからないような、そんな感情が涙となって現れる。
溢れ出る想いである。
流れる涙は無理やり止めることなく、自然なままに流すのがよいと思うbackdrop 佈置。
そう書いたら、偶然、別件でまたまた大泣き。
涙週間か。
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11:36
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2023年03月24日
い方向に流れてしまう
行っても行かなくても、してもしなくてもよいことは、必要性やモチベーションがないと、やる気を起こせない。
一緒に行こうと誘われていても、強く圧されず半ばわたしの自主性に任せるカタチだと、ずるずる行動に移さない方向に流れてしまう。
えいやっと決断する(スイッチをオンにする)瞬発力が必要だ。
慣性の法則、以前のままでいたい、動きたくない、と、エネルギーを出すのを惜しむ、易きに流れる傾向にある去黑頭。
ひたすら、動きたくない、強力なアンチパワー。
そのくせ、何もしないままで長時間過ごすと後味の悪い後悔が押し寄せる。
めんどくさいけど、えいやっと行動に移すキッカケを自分で作り上げなければ、何も動かない。
冬は、こたつに、ミカン。
そういう過ごし方はよくわかる。
こたつから出にくい。エネルギーもさることながら、ぬくぬくが気持ちよく、寒いのは嫌、、、となる。
が、わたしは布団系のものは使用していない。
床暖房に食卓と椅子。あとは、ドリップコーヒー。
よっこらしょと座位から頑張らなくても、高めの位置の椅子だからすっと立てるので障害物もなく、動くのに、エネルギーは要らない。
にもかかわらず、、、
何?この、めんどくさがりようはHifu 效果?
わたしの自己分析によると、、、
「オフ」である。
オンとオフがあり、今はオフなのだ。
季節の問題もあるが、今は何も動きがない。
①精神的②行事的③義務的④ビジネスがらみ⑤身に降りかかる偶然的事項、、などなど。
オフを続けすぎると、急にオンのスイッチを入れても動かなかったり、トラブルが生じたり、円滑に行かない。
昨年後半はその皺寄せがどっときて、かなり慌てた。
なので、適度にオンとオフを混ぜて行動しないと、スタンバイ維持にはそれなりの微弱であるものの力が必要。
と、入力しながら、とりあえず、今日のお出かけはやめた。
なぜか、夫がちょっと(30分?)出かけた。不思議な微妙なバランス。
さて、明日はどうなる?
朝が早いから、今日から気力をスタンバイすることになるだろうから、たぶん、行かない激光脫面毛。
なあああんだ。
とかなんとか、冬籠を楽しんでいる。
と同時に、最後まで全く中身のない本日のブログ記事を読んでいただいた方には申し訳ない気持ち。
傾聴お疲れ様でした。
一緒に行こうと誘われていても、強く圧されず半ばわたしの自主性に任せるカタチだと、ずるずる行動に移さない方向に流れてしまう。
えいやっと決断する(スイッチをオンにする)瞬発力が必要だ。
慣性の法則、以前のままでいたい、動きたくない、と、エネルギーを出すのを惜しむ、易きに流れる傾向にある去黑頭。
ひたすら、動きたくない、強力なアンチパワー。
そのくせ、何もしないままで長時間過ごすと後味の悪い後悔が押し寄せる。
めんどくさいけど、えいやっと行動に移すキッカケを自分で作り上げなければ、何も動かない。
冬は、こたつに、ミカン。
そういう過ごし方はよくわかる。
こたつから出にくい。エネルギーもさることながら、ぬくぬくが気持ちよく、寒いのは嫌、、、となる。
が、わたしは布団系のものは使用していない。
床暖房に食卓と椅子。あとは、ドリップコーヒー。
よっこらしょと座位から頑張らなくても、高めの位置の椅子だからすっと立てるので障害物もなく、動くのに、エネルギーは要らない。
にもかかわらず、、、
何?この、めんどくさがりようはHifu 效果?
わたしの自己分析によると、、、
「オフ」である。
オンとオフがあり、今はオフなのだ。
季節の問題もあるが、今は何も動きがない。
①精神的②行事的③義務的④ビジネスがらみ⑤身に降りかかる偶然的事項、、などなど。
オフを続けすぎると、急にオンのスイッチを入れても動かなかったり、トラブルが生じたり、円滑に行かない。
昨年後半はその皺寄せがどっときて、かなり慌てた。
なので、適度にオンとオフを混ぜて行動しないと、スタンバイ維持にはそれなりの微弱であるものの力が必要。
と、入力しながら、とりあえず、今日のお出かけはやめた。
なぜか、夫がちょっと(30分?)出かけた。不思議な微妙なバランス。
さて、明日はどうなる?
朝が早いから、今日から気力をスタンバイすることになるだろうから、たぶん、行かない激光脫面毛。
なあああんだ。
とかなんとか、冬籠を楽しんでいる。
と同時に、最後まで全く中身のない本日のブログ記事を読んでいただいた方には申し訳ない気持ち。
傾聴お疲れ様でした。
Posted by kfjgty at
11:52
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2023年02月22日
家がやって来る時間と競争
さて。
次女一家を迎えた昨日の夜に疲労はピークに達した。
次女の夫(婿)には最大級に気を使う。
今日、次女母娘が次女宅に引戻り、さらに長女一家との夕食をクリアすると、無事、お正月行事は終了膠原再生。
ああしんど。
年賀状の返事を今、書き終えてポストに投函したところ。
年賀状は、留守にしていたため、誰から届いたかは、自宅に戻らないとチェックできない。
昨日夕方は、すごいスピードと勢いで、目標時間内に夫の実家を片付け、自宅に向けて出発。(車で約1時間)
自宅に戻ると大量の荷物や衣類、身の回り品、食品(冷蔵庫内冷蔵品、調味料、乾物、米、野菜)をババババと荷解きし、片付け、次女一家がやって来る時間と競争。
いらっしゃ?い!と笑顔で迎える頃には、息も絶え絶え。
娘たちは若いからハイスピードで何でもこなすが、老体にはチャチャチャと行動するのは身体がキビキビ動かない。
急いで後始末をして出てきたが、いつも何かしらミスがあるhairless 脫毛好唔好。
封を開けたままのコーヒー豆と、スマホ充電器を持ち帰るのを忘れた。
出る間際まで洗濯物や、台所の片付け、ゴミの処理(プラゴミ、生ゴミ、紙ゴミ、缶、ビン)、お正月グッズの片付け、3つの棟に鍵をかけて、バタバタバタバタ。
早くしないと、次女一家が自宅に到着していまう。
迎える人が居ない、鍵がかかったままの実家に寒空の下、外で待ってもらうわけにはいかない。
ゼイゼイはあはあ、焦る焦る、ほとんど駆け足。
更にさあ、3世帯11名、今から夕食!という流れに、準備に手間取っていては、夕食が始まらない。
この流れ、時間配分、来年はどうにかしないと。課題だ。
ちなみに、それはそうと。
次女に愚痴をぶちぶち言った。
価値観の違いから来る生活習慣、方法の違い、この長年の恩人(次女の実父)との生活をどうしたものか、と。
次女は言った。
「2人とも悪い。2人とも一歩も引かない。調整のしようがない」と。
このアドバイザーは、優秀なカウンセラーでもある。
首が折れそうになるぐらい、わたしは大きく深く頷いた。
「事実は事実として、で、どうすればいい?」と次女に訊ねた。
「別々に暮らすしかないね」
あらまあ、、、そうなの?
そうかあ、、、
またまた首を大きく縦に前後に振った。(こんな表現はおかしい?→「うなだれた」「頷いた」か)
大きな収穫を得た雪櫃唔凍。
わたしも悪いようだ。
自分が感想を抱くのと同じように相手も真逆の感想を抱いているわけだ。
2人(両親)の間に挟まった次女にしてみると、よく状況が見える。
次女は、わたしの味方でも敵でもない。
(丸め込むのに失敗した)
喧嘩両成敗か。
ま、しかたない。
が、敵にこれからも負けない。
闘志、闘魂を新たに燃やした。
これが年頭の誓いだとすると、ちょっと菩薩から程遠い。
理想の自分ではない。
が、負けないゾ!!負けてなるものか!!
弱い立場の人間は、窮鼠猫を噛むのだ。
次女一家を迎えた昨日の夜に疲労はピークに達した。
次女の夫(婿)には最大級に気を使う。
今日、次女母娘が次女宅に引戻り、さらに長女一家との夕食をクリアすると、無事、お正月行事は終了膠原再生。
ああしんど。
年賀状の返事を今、書き終えてポストに投函したところ。
年賀状は、留守にしていたため、誰から届いたかは、自宅に戻らないとチェックできない。
昨日夕方は、すごいスピードと勢いで、目標時間内に夫の実家を片付け、自宅に向けて出発。(車で約1時間)
自宅に戻ると大量の荷物や衣類、身の回り品、食品(冷蔵庫内冷蔵品、調味料、乾物、米、野菜)をババババと荷解きし、片付け、次女一家がやって来る時間と競争。
いらっしゃ?い!と笑顔で迎える頃には、息も絶え絶え。
娘たちは若いからハイスピードで何でもこなすが、老体にはチャチャチャと行動するのは身体がキビキビ動かない。
急いで後始末をして出てきたが、いつも何かしらミスがあるhairless 脫毛好唔好。
封を開けたままのコーヒー豆と、スマホ充電器を持ち帰るのを忘れた。
出る間際まで洗濯物や、台所の片付け、ゴミの処理(プラゴミ、生ゴミ、紙ゴミ、缶、ビン)、お正月グッズの片付け、3つの棟に鍵をかけて、バタバタバタバタ。
早くしないと、次女一家が自宅に到着していまう。
迎える人が居ない、鍵がかかったままの実家に寒空の下、外で待ってもらうわけにはいかない。
ゼイゼイはあはあ、焦る焦る、ほとんど駆け足。
更にさあ、3世帯11名、今から夕食!という流れに、準備に手間取っていては、夕食が始まらない。
この流れ、時間配分、来年はどうにかしないと。課題だ。
ちなみに、それはそうと。
次女に愚痴をぶちぶち言った。
価値観の違いから来る生活習慣、方法の違い、この長年の恩人(次女の実父)との生活をどうしたものか、と。
次女は言った。
「2人とも悪い。2人とも一歩も引かない。調整のしようがない」と。
このアドバイザーは、優秀なカウンセラーでもある。
首が折れそうになるぐらい、わたしは大きく深く頷いた。
「事実は事実として、で、どうすればいい?」と次女に訊ねた。
「別々に暮らすしかないね」
あらまあ、、、そうなの?
そうかあ、、、
またまた首を大きく縦に前後に振った。(こんな表現はおかしい?→「うなだれた」「頷いた」か)
大きな収穫を得た雪櫃唔凍。
わたしも悪いようだ。
自分が感想を抱くのと同じように相手も真逆の感想を抱いているわけだ。
2人(両親)の間に挟まった次女にしてみると、よく状況が見える。
次女は、わたしの味方でも敵でもない。
(丸め込むのに失敗した)
喧嘩両成敗か。
ま、しかたない。
が、敵にこれからも負けない。
闘志、闘魂を新たに燃やした。
これが年頭の誓いだとすると、ちょっと菩薩から程遠い。
理想の自分ではない。
が、負けないゾ!!負けてなるものか!!
弱い立場の人間は、窮鼠猫を噛むのだ。
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09:26
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2023年01月06日
文章表現法はさることながら
裕さん、ブログ村エッセイの、ご注目の文学ルーキー、どなた様かな?
興味津々。
わたしも本は読まない。
社会的な教養書みたいなものは、たま?に読むことがある雪櫃哪個牌子好。
が、ほぼ読まないと言っても良さげ。
ブログ村住人のある方に昔むかし、リクエストされ、自分で小説を書いたこともあるが、ほんの少し。
ちょびっと、リトルビット。
あくまでも要望に応えてみただけのチャレンジだった。
当時、リアル知人が文章教室で小説を習っていたこともあり、小説を書くにあたりルールを色々教えてくれた。
が、それが重苦しく、自由に書きたい野生児のわたしとしては、窮屈で足枷になった。
自分が好きなように伸び伸び書きたいわたしには、面白くなかった。
なので、一作でやめた。
制約やルールは、わたしは大嫌いである。
ちなみに、他人の書いたものを読む時、わたしは、文章表現法はさることながら、視点、感性、考え方、捉え方に着目する。
だが、かなり良い内容でも、書き方があまりにも読む気を削ぐようなら、ちょっとだけ読んで、サジを投げる。
読み進める体力がない。Too hard しんどいDermes。
あるいは、難解すぎるものもNG、
何が言いたいのか、何を言っているのか、さっぱりわからないものもNG。
当たり前のことを当たり前に書かない作風は、わりと好き。
自分が興味あることしか読まない。
そして、究極は、自分に関わりがあるものしか読まない。
いたってわかりやすく、現実的。
だが、歴史や科学、自分には直接関係ないが、人間には間接的に関わっているから、脳が元気な時は読む。
さらさらと、すでに知識として知っていることの確認、答え合わせみたいなものか。
知らないことに出会うと、結構、脳は喜ぶ。
まだ脳はそれなりに生きているようだ。
互助会的なブログは敬遠する。
(会員同士がフォローし合うもの)
いいね!のポチは増えるかも知れないが、いずれ苦しくなってくる。
縛られないものが気楽で良い。
ただし、アクセス数は増えない。
あれもこれも、欲張るには、それだけの筆力や人気がないと無理。
中にはすごく文章力がある人もおられるが、所詮他人なので、山のように存在する達筆家の中に埋もれてしまう。
やはり、自分と何らかの接点、関わりがあるものに興味引かれる755 脫毛。
つい最近では、農作しておられる方とか、自然界で生きておられる方、昔流の暮らしをされている方、、、応援したくなる。
わたしには出来ないことだからだ。
興味津々。
わたしも本は読まない。
社会的な教養書みたいなものは、たま?に読むことがある雪櫃哪個牌子好。
が、ほぼ読まないと言っても良さげ。
ブログ村住人のある方に昔むかし、リクエストされ、自分で小説を書いたこともあるが、ほんの少し。
ちょびっと、リトルビット。
あくまでも要望に応えてみただけのチャレンジだった。
当時、リアル知人が文章教室で小説を習っていたこともあり、小説を書くにあたりルールを色々教えてくれた。
が、それが重苦しく、自由に書きたい野生児のわたしとしては、窮屈で足枷になった。
自分が好きなように伸び伸び書きたいわたしには、面白くなかった。
なので、一作でやめた。
制約やルールは、わたしは大嫌いである。
ちなみに、他人の書いたものを読む時、わたしは、文章表現法はさることながら、視点、感性、考え方、捉え方に着目する。
だが、かなり良い内容でも、書き方があまりにも読む気を削ぐようなら、ちょっとだけ読んで、サジを投げる。
読み進める体力がない。Too hard しんどいDermes。
あるいは、難解すぎるものもNG、
何が言いたいのか、何を言っているのか、さっぱりわからないものもNG。
当たり前のことを当たり前に書かない作風は、わりと好き。
自分が興味あることしか読まない。
そして、究極は、自分に関わりがあるものしか読まない。
いたってわかりやすく、現実的。
だが、歴史や科学、自分には直接関係ないが、人間には間接的に関わっているから、脳が元気な時は読む。
さらさらと、すでに知識として知っていることの確認、答え合わせみたいなものか。
知らないことに出会うと、結構、脳は喜ぶ。
まだ脳はそれなりに生きているようだ。
互助会的なブログは敬遠する。
(会員同士がフォローし合うもの)
いいね!のポチは増えるかも知れないが、いずれ苦しくなってくる。
縛られないものが気楽で良い。
ただし、アクセス数は増えない。
あれもこれも、欲張るには、それだけの筆力や人気がないと無理。
中にはすごく文章力がある人もおられるが、所詮他人なので、山のように存在する達筆家の中に埋もれてしまう。
やはり、自分と何らかの接点、関わりがあるものに興味引かれる755 脫毛。
つい最近では、農作しておられる方とか、自然界で生きておられる方、昔流の暮らしをされている方、、、応援したくなる。
わたしには出来ないことだからだ。
Posted by kfjgty at
14:25
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2022年12月01日
でいかにも気合いが入ら
お坊さんは予定より更に早く来たため、待ち時間は減ったものの、お坊さんが帰った、その後の時間が余った。
で、家を探索。
古いくたびれた蔵の中で、面白いモノを見つけた活動製作。
世界地図。
幅150センチぐらい?高さ120センチぐらいの、紙製の地図の巻物。
一見、ボロっちいが、中を開いてみると立派に表装され、しっかりした芯に、くるくる巻かれていた。
ツイドという国名を見つけたが、こんな国あった?
よくよく見ると、ドイツだった。
中国は別の名前になっていた。
日本は、赤い色で示され、北は、今はロシア領になっている場所が連なり、南北朝鮮も、台湾も赤くなっていた。
暗い場所で見たし、わたしの視力はかなり悪いので、あんまり良くわからなかった。
いったい、いつの地図?
そういえば「日本」も、日本らしいけれどちょっと違う漢字が付いていたような気がする。
大日本帝国、だとか、そんな長々しい名前ではなく、もう少し短くすっきりしたような香港加拿大移民。
今度行って時間と余裕があればまたチェックしてみよう。
夫の祖父の名前が描かれたクワ(農具)と一緒に入り口扉すぐの壁に無造作に立てかけてあったところが、クワと世界地図がミスマッチでいかにも気合いが入らず面白い。
庭の古い古い松の木が、半分枯れているらしく、出入りの造園屋さんによって処置のため、ばさっと半分切り落とされていた。
まるで身体の半分が無くなったような、足が片方切り落とされたかのごとく、断面が剥き出しにされ、痛々しかった。
半分しかない不自然な姿の松だが、倒れず灯籠に寄りかかるようにして立っていた。
あの木を見てわたしは思った。
今月初旬に見た時は、切られた断面がペンキみたいにベタっとした赤茶色で、何ごとかと思ったが、はっきり見なかった。
無惨な姿を曝け出しているような気はしたものの、ちゃんと見ていなかった。
今日はしっかり見た。
半分腐ったが、半分は生きている。
残りの半分を生かすために、半分を切り落とした。
やむを得ない。
よくよく見ると、苔むした古い幹の中から小さな赤ちゃん枝がちょこっと、ぴょこっと生えていた。
見た目は、すごく変でアンバランス。
こだわりある庭師なら美的に耐えられないかも知れない。
身体は半分斜めにバッサリ切り落とされ重心が移動しているが、仲間の灯籠に支えられてどうにか、もっている。
あの松の木、切られた直ぐ後に見た時は、痛々しい無残な姿に驚いた。
が、今日はまた別の感覚が芽生えた。
あの松を半分腐らせてしまったのは、わたしかも知れない。
バランスよく調和を保ち、長年そこに生き続けているものを、わたしは自分だけの志向でおざなりにした。
長く生き続けてきた証を粗末に扱い、過去の人々の営みにリスペクトもせず、
後は知らない!と言わんがばかり。
でも、ブサイクな、傷口を剥き出しにしながら、松の木は残存している周りと協力し合って、支え合っていた。
確か、姑の代にも庭の別の松の木(だったか?)が枯れて、ごっそり撤去したように記憶している。
わたしの代は、半分だけ残すことにより、誰が見ても異常を感じるカッコ悪い(松の)姿をさらして警鐘を鳴らしているのかも知れない。
あんな姿になっても松はまだ生きている。
しかし、鑑賞用としては、見た目は相当悪くなっている。
あれも生きた歴史の一つかも。
あの木は、あの場所にいったい何年生きているのだろう绿色债券。
100年?200年?
政変や戦争なども挟み、産業や暮らしは大きく変わった。
さらに地球温暖化や気候変動など、最近の地球は昔とは違う。
何も一個人のわたしのせいではなく、長年積もり積もった変動に、松が悲鳴を上げたのかも知れない。
で、家を探索。
古いくたびれた蔵の中で、面白いモノを見つけた活動製作。
世界地図。
幅150センチぐらい?高さ120センチぐらいの、紙製の地図の巻物。
一見、ボロっちいが、中を開いてみると立派に表装され、しっかりした芯に、くるくる巻かれていた。
ツイドという国名を見つけたが、こんな国あった?
よくよく見ると、ドイツだった。
中国は別の名前になっていた。
日本は、赤い色で示され、北は、今はロシア領になっている場所が連なり、南北朝鮮も、台湾も赤くなっていた。
暗い場所で見たし、わたしの視力はかなり悪いので、あんまり良くわからなかった。
いったい、いつの地図?
そういえば「日本」も、日本らしいけれどちょっと違う漢字が付いていたような気がする。
大日本帝国、だとか、そんな長々しい名前ではなく、もう少し短くすっきりしたような香港加拿大移民。
今度行って時間と余裕があればまたチェックしてみよう。
夫の祖父の名前が描かれたクワ(農具)と一緒に入り口扉すぐの壁に無造作に立てかけてあったところが、クワと世界地図がミスマッチでいかにも気合いが入らず面白い。
庭の古い古い松の木が、半分枯れているらしく、出入りの造園屋さんによって処置のため、ばさっと半分切り落とされていた。
まるで身体の半分が無くなったような、足が片方切り落とされたかのごとく、断面が剥き出しにされ、痛々しかった。
半分しかない不自然な姿の松だが、倒れず灯籠に寄りかかるようにして立っていた。
あの木を見てわたしは思った。
今月初旬に見た時は、切られた断面がペンキみたいにベタっとした赤茶色で、何ごとかと思ったが、はっきり見なかった。
無惨な姿を曝け出しているような気はしたものの、ちゃんと見ていなかった。
今日はしっかり見た。
半分腐ったが、半分は生きている。
残りの半分を生かすために、半分を切り落とした。
やむを得ない。
よくよく見ると、苔むした古い幹の中から小さな赤ちゃん枝がちょこっと、ぴょこっと生えていた。
見た目は、すごく変でアンバランス。
こだわりある庭師なら美的に耐えられないかも知れない。
身体は半分斜めにバッサリ切り落とされ重心が移動しているが、仲間の灯籠に支えられてどうにか、もっている。
あの松の木、切られた直ぐ後に見た時は、痛々しい無残な姿に驚いた。
が、今日はまた別の感覚が芽生えた。
あの松を半分腐らせてしまったのは、わたしかも知れない。
バランスよく調和を保ち、長年そこに生き続けているものを、わたしは自分だけの志向でおざなりにした。
長く生き続けてきた証を粗末に扱い、過去の人々の営みにリスペクトもせず、
後は知らない!と言わんがばかり。
でも、ブサイクな、傷口を剥き出しにしながら、松の木は残存している周りと協力し合って、支え合っていた。
確か、姑の代にも庭の別の松の木(だったか?)が枯れて、ごっそり撤去したように記憶している。
わたしの代は、半分だけ残すことにより、誰が見ても異常を感じるカッコ悪い(松の)姿をさらして警鐘を鳴らしているのかも知れない。
あんな姿になっても松はまだ生きている。
しかし、鑑賞用としては、見た目は相当悪くなっている。
あれも生きた歴史の一つかも。
あの木は、あの場所にいったい何年生きているのだろう绿色债券。
100年?200年?
政変や戦争なども挟み、産業や暮らしは大きく変わった。
さらに地球温暖化や気候変動など、最近の地球は昔とは違う。
何も一個人のわたしのせいではなく、長年積もり積もった変動に、松が悲鳴を上げたのかも知れない。
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16:44
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2022年10月29日
か親の教育が行き届いてい
わたしの母の実家。
わたしは今まで何回葬儀に参加しただろう。
参加した時系列に順を追ってみる移民多倫多。
祖父(母の父)、おじ(母の兄)、祖母(母の母)、おば(母の兄の妻)、いとこ(母の兄の長男)、さらに、いとこ(母の兄の次男)。6名。
結婚して家は出ているが、母の姉も。
これだけのたくさんの母の実家の人々や暮らしを知っている、、、にもかかわらず、消えた命に対して新しい命のなんと少ないことか。
少子高齢化どころか、無子高齢化である。
わたしが実際に訪れたり話したり飲食したりして知っている母の実家。
母の両親と共に、母の兄(長男)夫婦には3人の元気な男の子たちが一つ屋根の下に暮らしていた。
一人亡くなり、二人亡くなり、、、年齢とともにこの世を去る澳洲188B。
そして誰もいなくなった。
明るく生き生きしていた7人家族は、時と共にいなくなった。
この中で一人だけ末子の男の子は、まだ親が存命の頃、早々に婿に行った。
3番目末っ子男子なので、大きな家から婿養子の口がかかった。
彼は婿に行った先で、子供や孫が生まれている。
今、仕事が休みの日には息子とともに、誰もいなくなった自分の実家や実家関係の諸々の管理に通っている。
婿に行った先と、自分の実家、両方見ることになり、大変だろうけれど。
また、手助けしてくれる息子さんもまだ若いのに仕事の合間を縫って頑張り、なかなか親の教育が行き届いているようで感心する。
全国でこんな家はたくさんあるだろう。
実家を見るのは、婿に行った息子に限らず、嫁に行った娘さんだったりする。
というか、娘さんのほうが圧倒的に多いだろう。
母の実家、今も手が入りキレイにしてある。
幼い頃、母の実家にはお正月や法事などで何回も訪れたことがある。
半世紀以上経っても未だにしっかり間取りや雰囲気を覚えている。
作業場、農具小屋、前庭、敷地内菜園、蔵、母屋、せんだい(庭)、、、
土間にある台所、浴室、トイレ、、、水回りは少し切り離されている。
台所とは土間続きの別室の食堂。
仏間は田の字型に続く畳部屋にあり、法事の時などは、襖を取り外し、何部屋か続けて開放的に広々使う。
田舎の伝統的な美しい日本家屋である。
どの家もそういった造り、体裁、配置になっている。
母には2人の兄以外に、10歳上の姉と、10歳下の妹がいる。
母を含め女性は3人とも結婚して家を出ている。
母の妹は、親が大反対した恋愛結婚をした。
認めてもらえず実家の敷居をまたがせてもらえなかった。
だが、子供が2人出来て、ある程度大きくなってからやっと出入りを許された澳洲買樓。
しかし、酒豪揃いの嫁の実家は、飲まないお婿さんには肩身も狭く、いつも叔母の夫は、わたしたちの女子供テーブルに静かに小さくなって座っていた。
叔母は理数系女性で職業的にも経済的にも自立し、専業主婦ではなかった。
キビキビした現代風の女性だった。
母のようなダンプカー的な胆っ玉だけで押し通すタイプではなく、ちゃんとした専門分野を持っていた。
そのせいかどうかは別として、旦那さんは優しい雰囲気を漂わせ、静かで大人しかった。
ヒモ的な要素があるのかしらんとわたしは勝手に思っていたが、後年、聞くところによると、ちゃんとしたマトモな職業を持つ、ちゃんとした社会人だった。
わたしは今まで何回葬儀に参加しただろう。
参加した時系列に順を追ってみる移民多倫多。
祖父(母の父)、おじ(母の兄)、祖母(母の母)、おば(母の兄の妻)、いとこ(母の兄の長男)、さらに、いとこ(母の兄の次男)。6名。
結婚して家は出ているが、母の姉も。
これだけのたくさんの母の実家の人々や暮らしを知っている、、、にもかかわらず、消えた命に対して新しい命のなんと少ないことか。
少子高齢化どころか、無子高齢化である。
わたしが実際に訪れたり話したり飲食したりして知っている母の実家。
母の両親と共に、母の兄(長男)夫婦には3人の元気な男の子たちが一つ屋根の下に暮らしていた。
一人亡くなり、二人亡くなり、、、年齢とともにこの世を去る澳洲188B。
そして誰もいなくなった。
明るく生き生きしていた7人家族は、時と共にいなくなった。
この中で一人だけ末子の男の子は、まだ親が存命の頃、早々に婿に行った。
3番目末っ子男子なので、大きな家から婿養子の口がかかった。
彼は婿に行った先で、子供や孫が生まれている。
今、仕事が休みの日には息子とともに、誰もいなくなった自分の実家や実家関係の諸々の管理に通っている。
婿に行った先と、自分の実家、両方見ることになり、大変だろうけれど。
また、手助けしてくれる息子さんもまだ若いのに仕事の合間を縫って頑張り、なかなか親の教育が行き届いているようで感心する。
全国でこんな家はたくさんあるだろう。
実家を見るのは、婿に行った息子に限らず、嫁に行った娘さんだったりする。
というか、娘さんのほうが圧倒的に多いだろう。
母の実家、今も手が入りキレイにしてある。
幼い頃、母の実家にはお正月や法事などで何回も訪れたことがある。
半世紀以上経っても未だにしっかり間取りや雰囲気を覚えている。
作業場、農具小屋、前庭、敷地内菜園、蔵、母屋、せんだい(庭)、、、
土間にある台所、浴室、トイレ、、、水回りは少し切り離されている。
台所とは土間続きの別室の食堂。
仏間は田の字型に続く畳部屋にあり、法事の時などは、襖を取り外し、何部屋か続けて開放的に広々使う。
田舎の伝統的な美しい日本家屋である。
どの家もそういった造り、体裁、配置になっている。
母には2人の兄以外に、10歳上の姉と、10歳下の妹がいる。
母を含め女性は3人とも結婚して家を出ている。
母の妹は、親が大反対した恋愛結婚をした。
認めてもらえず実家の敷居をまたがせてもらえなかった。
だが、子供が2人出来て、ある程度大きくなってからやっと出入りを許された澳洲買樓。
しかし、酒豪揃いの嫁の実家は、飲まないお婿さんには肩身も狭く、いつも叔母の夫は、わたしたちの女子供テーブルに静かに小さくなって座っていた。
叔母は理数系女性で職業的にも経済的にも自立し、専業主婦ではなかった。
キビキビした現代風の女性だった。
母のようなダンプカー的な胆っ玉だけで押し通すタイプではなく、ちゃんとした専門分野を持っていた。
そのせいかどうかは別として、旦那さんは優しい雰囲気を漂わせ、静かで大人しかった。
ヒモ的な要素があるのかしらんとわたしは勝手に思っていたが、後年、聞くところによると、ちゃんとしたマトモな職業を持つ、ちゃんとした社会人だった。
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16:02
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2022年10月08日
嫌な予感はしたものの
疲れ過ぎて、記事に書こうという意欲が湧かないが、ネタはいっぱい仕入れた。
豊富なネタには不自由しないものの、書かないうちに次々リアルタイムで日々、新しいネタが生まれそうだ。
次の日常の出来事で、体感した感覚が更新される前にちょこっと書いておこうserviced apartments in hong kong。
今回の怒涛の1週間の後半は、警報が出るほどの悪天候の中、山深い里へチビッコ4人連れのキャンプ旅。
娘婿、仕事でドタキャン不参加になり、ピンチヒッター子守要員の白羽の矢がわたしに放たれた。
保護者、大人は母娘(わたしと長女)のみ。
わたしは予定があったのに、「上孫(小学生低学年男児)2人の話相手と、荷物番だけでいい」という娘の推しの強い誘い文句に、嫌な予感はしたものの、渋々応じた。
自分の身だけでもモタモタして持て余すにもかかわらず、ボケていられないほど強烈に堪えた。
娘婿は自分が参加するつもりで申し込んだのだろうけれど、こんな宿泊施設、わたしは逆恨み状態。
シニアは勿論のこと、若者同士も見当たらず、目にするのは、パパがここぞと活躍する若いファミリーばかり。
キャンプ本格派は、自分でテントを設営する、もっと本腰を入れた真剣なキャンプ地を選ぶと思われる曼城樓盤。
それに比べると、グランピングは子連れファミリー層には、キャンプとしては中途半端かも知れないが雰囲気だけ楽しむのには良いだろう。
しかし、働き手のいない、手のかかるチビッコたちとグランピング、バーベキューって、、、!
火の起こし方もわからない。
自分たちで焼いて食器や食後の後片付けも自分たちで。
しかも大雨、集中豪雨の中。
雨が降っていなければ、これほどはどうってことはないが、土砂降り。
トイレや洗面所に行くには、全面、水溜りになった地面に靴ごと突っ込んでビシャビシャ。
キャッチコピーは、「何もしない贅沢」。
揺らぐ火を見ながら癒される、、、。
など、とんでもない。
何もしないわけがない。
1番手がかかる幼児連れ。
どれだけ不安だったことか。
トイレも洗面所も就寝するテントから離れた場所にあるため、夜通し、雨足が弱くなるのを見計らってトイレにいかなければならない。
豪雨がテントに叩きつける音に恐怖感を抱きながら、2時間置きに靴を履いて出かけ、精神的不眠症。
洗顔、歯磨きも、一旦、外へ。
校舎にあるような洗面所や流しは、利用者は横一列に並ぶ。
小中学時代(昭和30年後半?40年代)に学校から行った旅館のイメージか。
ではあるが、それらはまだ雨を気にしなくてもいい、同じ屋根の下だった優秀人才入境計劃。
2歳児の紙おしめウ○チ処理後、手を洗う所がないので、わざわざ水道水が出るところに水溜りを超えて出向かなければならない。
もうゴリゴリ。
だが、蒸し焼きにしていたサツマイモは翌朝、食べたが、とても美味しかった。
このサツマイモ感想、、、無理矢理、帳尻を合わせようと頑張った感は否めないが、良い思い出にはなった。
お店で座っているだけで何もしないで給仕された食事をいただけるありがたさ、、、。
部屋、館内にトイレがあることの幸せ、、、。
まるで自然災害の避難所体験をしたかのようなキャンプに、日頃、何とも思わなかったことに改めて感謝した次第だ。
しかし、サービスを受けに行くのならいざ知らず、わざわざ苦労しに行くのは、もう参加したくない。
周りの川は水位が上がり、色も流れも、豪雨の激しさを物語っていた。
豊富なネタには不自由しないものの、書かないうちに次々リアルタイムで日々、新しいネタが生まれそうだ。
次の日常の出来事で、体感した感覚が更新される前にちょこっと書いておこうserviced apartments in hong kong。
今回の怒涛の1週間の後半は、警報が出るほどの悪天候の中、山深い里へチビッコ4人連れのキャンプ旅。
娘婿、仕事でドタキャン不参加になり、ピンチヒッター子守要員の白羽の矢がわたしに放たれた。
保護者、大人は母娘(わたしと長女)のみ。
わたしは予定があったのに、「上孫(小学生低学年男児)2人の話相手と、荷物番だけでいい」という娘の推しの強い誘い文句に、嫌な予感はしたものの、渋々応じた。
自分の身だけでもモタモタして持て余すにもかかわらず、ボケていられないほど強烈に堪えた。
娘婿は自分が参加するつもりで申し込んだのだろうけれど、こんな宿泊施設、わたしは逆恨み状態。
シニアは勿論のこと、若者同士も見当たらず、目にするのは、パパがここぞと活躍する若いファミリーばかり。
キャンプ本格派は、自分でテントを設営する、もっと本腰を入れた真剣なキャンプ地を選ぶと思われる曼城樓盤。
それに比べると、グランピングは子連れファミリー層には、キャンプとしては中途半端かも知れないが雰囲気だけ楽しむのには良いだろう。
しかし、働き手のいない、手のかかるチビッコたちとグランピング、バーベキューって、、、!
火の起こし方もわからない。
自分たちで焼いて食器や食後の後片付けも自分たちで。
しかも大雨、集中豪雨の中。
雨が降っていなければ、これほどはどうってことはないが、土砂降り。
トイレや洗面所に行くには、全面、水溜りになった地面に靴ごと突っ込んでビシャビシャ。
キャッチコピーは、「何もしない贅沢」。
揺らぐ火を見ながら癒される、、、。
など、とんでもない。
何もしないわけがない。
1番手がかかる幼児連れ。
どれだけ不安だったことか。
トイレも洗面所も就寝するテントから離れた場所にあるため、夜通し、雨足が弱くなるのを見計らってトイレにいかなければならない。
豪雨がテントに叩きつける音に恐怖感を抱きながら、2時間置きに靴を履いて出かけ、精神的不眠症。
洗顔、歯磨きも、一旦、外へ。
校舎にあるような洗面所や流しは、利用者は横一列に並ぶ。
小中学時代(昭和30年後半?40年代)に学校から行った旅館のイメージか。
ではあるが、それらはまだ雨を気にしなくてもいい、同じ屋根の下だった優秀人才入境計劃。
2歳児の紙おしめウ○チ処理後、手を洗う所がないので、わざわざ水道水が出るところに水溜りを超えて出向かなければならない。
もうゴリゴリ。
だが、蒸し焼きにしていたサツマイモは翌朝、食べたが、とても美味しかった。
このサツマイモ感想、、、無理矢理、帳尻を合わせようと頑張った感は否めないが、良い思い出にはなった。
お店で座っているだけで何もしないで給仕された食事をいただけるありがたさ、、、。
部屋、館内にトイレがあることの幸せ、、、。
まるで自然災害の避難所体験をしたかのようなキャンプに、日頃、何とも思わなかったことに改めて感謝した次第だ。
しかし、サービスを受けに行くのならいざ知らず、わざわざ苦労しに行くのは、もう参加したくない。
周りの川は水位が上がり、色も流れも、豪雨の激しさを物語っていた。
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09:51
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2022年09月12日
暇つぶし影響と見ら
わたしのブログへの閲覧数上昇は、コロナ禍ステイホームによる人々の暇つぶし影響と見られる。
共通課題のコロナが徐々に落ち着くと、閲覧数も元のようになると予測している加拿大留學。
わたしが毎日見に行くブログがある。
その一つは、アートな写真に見惚れ、凛とした文章で魂を毎回抜かれてしまう、憧れのミュンヘンブログ。
ただし、エネルギーを吸い取られた読後は自分のブログを書く気にはなかなかなれない。
他にも、まとめて読みに行く、長年のこころの友のブログがある。
このブロガーさんは、本人にもお伝えしているが、わたしは友達認定を一方的にしている。
さらに、かなり前からの、たぶん、わたしがブログをスタートした初期の頃から旧知のブロガーさんがいる。
じつは、わたしはそのブロガーさんに毎回、更新モチベーションのスイッチを押されているような気もしている。
だが、そのブロガーさんのアクションは、目や脳からではなく、指先運動の日課によるものであり、ひょっとしてわたしが勝手に受ける錯覚、思い込みかも知れないと思う瞬間もある澳洲讀書。
しかし、モチベーションなんていうものは、根拠や実体なんか無くても、勘違いでも何でもいいんだと妙に納得したりする。
今日のミュンヘンブログに書かれていたような、お会いしたこともない、声を聞いたこともない、でも長年、文章だけでやり取りして、その人のイメージを作り上げることってある。
わたしがインターネットに初めて触れたのは32年ぐらい前で、その頃からの知り合いが数人いて、現在も年賀状一枚で繋がっている人もいる。
ちなみに、初めてインターネットで繋がった記念すべき第1号の人は、香港の中学生だった。
パソコン通信と呼ばれていた時代。
愛好者は、通信系、パソコン系の仕事に携わっている人や、著作系の趣味のある人だった。
著作系の人は、パソコンからではなくワープロから通信していることもあった。
仕事以外での家庭パソコン普及率もあまり高くなく、SNSも一般的でなく少ししか存在していなくて、わたしが利用していた代表的な大手ネットも会員は30万人ぐらいだった。
よく考えるとインターネット歴は、人生の半分近くを占めている。
ただし、パソコン画面はモノクロで、英数文字を長々と無機質に打ち込むもので、今のように画面にアイコンが現れ、ひょいっと掴んで移動させたり、一瞬で画面が躍動的に踊り出したり、とは程遠いものだった。
当時、大きな薄いペラペラしたフロッピーを差し込むと画面がガシャガシャと立ち上がり、文字入力を通しておしゃべりしていくうちに、会話でインプットした情報が蓄積され徐々に賢なっていく女の子のゲームソフトみたいなものもあったが、黒い画面に白い文字で延々とおしゃべりを続けるだけ。
動画も声も、なんにもない、なんの愛想もないものだった。
また、圧縮ツールみたいなものがあって、圧縮して送られたものは、決められた英数文字を入力して解凍したり、、、何かしらの知識がないと操作できない、めんどくさいものだった。
スマホで指くるくる、瞬間操作とは、隔世の感。
というように、インターネットは、当時はそういう技術系の人々と文章系の人々が交差していた加拿大移民。
真ん中あたりの中間の人はいなかった。
パソコン普及率も今とは違っていた。
今はスマホがあるから、あまり固定型パソコンは個人的には需要がないのではないかと想像する。
仕事ではノートパソコン、タブレットが多い?
小学校でもパソコン授業が取り入れられているし、自宅からのオンライン授業も更に充実させるのが喫緊の課題とされている。
共通課題のコロナが徐々に落ち着くと、閲覧数も元のようになると予測している加拿大留學。
わたしが毎日見に行くブログがある。
その一つは、アートな写真に見惚れ、凛とした文章で魂を毎回抜かれてしまう、憧れのミュンヘンブログ。
ただし、エネルギーを吸い取られた読後は自分のブログを書く気にはなかなかなれない。
他にも、まとめて読みに行く、長年のこころの友のブログがある。
このブロガーさんは、本人にもお伝えしているが、わたしは友達認定を一方的にしている。
さらに、かなり前からの、たぶん、わたしがブログをスタートした初期の頃から旧知のブロガーさんがいる。
じつは、わたしはそのブロガーさんに毎回、更新モチベーションのスイッチを押されているような気もしている。
だが、そのブロガーさんのアクションは、目や脳からではなく、指先運動の日課によるものであり、ひょっとしてわたしが勝手に受ける錯覚、思い込みかも知れないと思う瞬間もある澳洲讀書。
しかし、モチベーションなんていうものは、根拠や実体なんか無くても、勘違いでも何でもいいんだと妙に納得したりする。
今日のミュンヘンブログに書かれていたような、お会いしたこともない、声を聞いたこともない、でも長年、文章だけでやり取りして、その人のイメージを作り上げることってある。
わたしがインターネットに初めて触れたのは32年ぐらい前で、その頃からの知り合いが数人いて、現在も年賀状一枚で繋がっている人もいる。
ちなみに、初めてインターネットで繋がった記念すべき第1号の人は、香港の中学生だった。
パソコン通信と呼ばれていた時代。
愛好者は、通信系、パソコン系の仕事に携わっている人や、著作系の趣味のある人だった。
著作系の人は、パソコンからではなくワープロから通信していることもあった。
仕事以外での家庭パソコン普及率もあまり高くなく、SNSも一般的でなく少ししか存在していなくて、わたしが利用していた代表的な大手ネットも会員は30万人ぐらいだった。
よく考えるとインターネット歴は、人生の半分近くを占めている。
ただし、パソコン画面はモノクロで、英数文字を長々と無機質に打ち込むもので、今のように画面にアイコンが現れ、ひょいっと掴んで移動させたり、一瞬で画面が躍動的に踊り出したり、とは程遠いものだった。
当時、大きな薄いペラペラしたフロッピーを差し込むと画面がガシャガシャと立ち上がり、文字入力を通しておしゃべりしていくうちに、会話でインプットした情報が蓄積され徐々に賢なっていく女の子のゲームソフトみたいなものもあったが、黒い画面に白い文字で延々とおしゃべりを続けるだけ。
動画も声も、なんにもない、なんの愛想もないものだった。
また、圧縮ツールみたいなものがあって、圧縮して送られたものは、決められた英数文字を入力して解凍したり、、、何かしらの知識がないと操作できない、めんどくさいものだった。
スマホで指くるくる、瞬間操作とは、隔世の感。
というように、インターネットは、当時はそういう技術系の人々と文章系の人々が交差していた加拿大移民。
真ん中あたりの中間の人はいなかった。
パソコン普及率も今とは違っていた。
今はスマホがあるから、あまり固定型パソコンは個人的には需要がないのではないかと想像する。
仕事ではノートパソコン、タブレットが多い?
小学校でもパソコン授業が取り入れられているし、自宅からのオンライン授業も更に充実させるのが喫緊の課題とされている。
Posted by kfjgty at
11:16
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2022年08月14日
あるだろうと思われ
さあ、インターネット三昧を。
せっかくの休日。
娘が起きてこない間に、思う存分、ネットで遊ぼう!!!!と、思っていたのに。
ところが。。。。
パソコンが、インターネットに関しては、びくとも動かないPerfect Medical 好唔好。
しかたないので、家族合わせて800枚以上はあるだろうと思われる、
カンボジア旅行の写真を見たりしていた。
でも、洗濯機と同時進行しながら、全部見終わってしまい、することもなく、
せっかく、いいお天気だし、布団を干したり、シーツを洗濯したり、
もう寒くなることはないだろうと、冬物衣類の整理をしたり、たまった家事や、
書類に目を通したり、新聞を読んだり、あれこれした。
結果的には、なんだかヘンに充実した、働きモノとしての一日を過ごした。
インターネットは、ある意味、たまには強制隔離して、
家事や、普段出来ないことに勤しむのもいいかも助聽器比較。
娘、起きてくるのが遅いなあ???と、昼食の段取りもありイライラしていたが、
彼女が居ないことに気づいたのは、午後三時過ぎだった。
私が寝ている間に、どうやら朝早くお出かけしていたなんて????知らなかった???
疲れているだろうから、起こさないでいてあげようと、部屋に様子を見に行かなかった。
私も、いい加減のんびりしている。
しかし、それならそれで、食事のことなどにとらわれず、自分だけのペースで
一人タイムを思う存分リラックスできたのに、残念。
旅行の写真、みんなそれぞれに、いい写真を撮っている。
私は、暑さにやられてダウンしたが、
皆は元気に、素晴らしい感性を写真に収めている。
また、気が向いたら、旅の写真をアップするかも抽濕機乾衣。
しかし明日は、どうなるやら。
パソコンに聞いてみないとわかりませんが。
私たち(パソコンと私)、最近、信頼関係が揺らいでますから。
せっかくの休日。
娘が起きてこない間に、思う存分、ネットで遊ぼう!!!!と、思っていたのに。
ところが。。。。
パソコンが、インターネットに関しては、びくとも動かないPerfect Medical 好唔好。
しかたないので、家族合わせて800枚以上はあるだろうと思われる、
カンボジア旅行の写真を見たりしていた。
でも、洗濯機と同時進行しながら、全部見終わってしまい、することもなく、
せっかく、いいお天気だし、布団を干したり、シーツを洗濯したり、
もう寒くなることはないだろうと、冬物衣類の整理をしたり、たまった家事や、
書類に目を通したり、新聞を読んだり、あれこれした。
結果的には、なんだかヘンに充実した、働きモノとしての一日を過ごした。
インターネットは、ある意味、たまには強制隔離して、
家事や、普段出来ないことに勤しむのもいいかも助聽器比較。
娘、起きてくるのが遅いなあ???と、昼食の段取りもありイライラしていたが、
彼女が居ないことに気づいたのは、午後三時過ぎだった。
私が寝ている間に、どうやら朝早くお出かけしていたなんて????知らなかった???
疲れているだろうから、起こさないでいてあげようと、部屋に様子を見に行かなかった。
私も、いい加減のんびりしている。
しかし、それならそれで、食事のことなどにとらわれず、自分だけのペースで
一人タイムを思う存分リラックスできたのに、残念。
旅行の写真、みんなそれぞれに、いい写真を撮っている。
私は、暑さにやられてダウンしたが、
皆は元気に、素晴らしい感性を写真に収めている。
また、気が向いたら、旅の写真をアップするかも抽濕機乾衣。
しかし明日は、どうなるやら。
パソコンに聞いてみないとわかりませんが。
私たち(パソコンと私)、最近、信頼関係が揺らいでますから。
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11:39
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